先月二十八日の水害で被害を受けた金沢市湯涌温泉の総湯「白鷺(しらさぎ)の湯」が十三日、営業を再開した。常連客からは「この日を待っとった」「湯涌のお湯はやっぱりいい」との声が聞かれ、約二週間ぶりに活気が戻った。この日は金沢湯涌夢二館も再オープンし、金沢の奥座敷が復興へ新たな一歩を踏み出した。
総湯は大雨の影響で泥水が流れ込み、ボイラーなども水につかって営業を停止していた。この日は営業開始時間の午前七時前から常連客が訪れ、久しぶりに総湯で体を癒やした。七尾留利子さん(60)=金沢市城南二丁目=は「思ったより被害が少なく、こうして営業を再開してくれてうれしい」と笑顔を見せた。
金沢湯涌夢二館では竹久夢二の木版画「葡萄(ぶどう)」「竹」「梅」の展示が始まり、来場者が色鮮やかな作品に見入った。
(北國新聞・2008,8.13)
七月二十八日の豪雨被害への対応で金沢市は十日、湯涌地区で避難勧告が出ている十八世帯四十九人の住民を対象に住宅意向調査を開始する。住宅近くで土砂災害の危険が続き、避難生活が長期化する可能性も大きく、要望があれば仮設住宅の建設も視野に入れる。
意向調査では湯涌地区に仮設住宅ができれば入居したいかどうかや、入居したい理由を尋ねる。県が十日に湯涌地区の住民に開く説明会で調査票を配る。
湯涌地区では豪雨で住宅二棟が全壊、五棟が半壊した。土砂崩れの危険性から九日時点でも芝原町四世帯十九人、折谷町七世帯十二人、板ケ谷町七世帯十八人に避難勧告が出ている。六世帯十一人が湯涌小で避難生活を続け、一時的に知人宅や公営住宅に身を寄せる住民も見られる。
住宅周辺で土砂崩れの恐れがあるがけ地などは応急的な措置が講じられたが、現時点で本格復旧のめどは立っておらず、避難勧告の長期化は避けられない状況となっている。
(北國新聞・2008,8,10)
被災地同士で善意のリレー
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(北國新聞・2008,8,6)
金沢・板ケ谷、集中豪雨から1週間
七月二十八日の集中豪雨から一週間たった四日、簡易水道の損壊で断水が続いていた金沢市板ケ谷町に給水タンクが設置され、各家庭への送水が再開された。「水のありがたみが分かった」。水害に泣かされた住民は、蛇口からあふれる水に笑顔を浮かべた。
同日午後六時、全七世帯のうち、被害の少なかった四世帯に送水が再開した。この一週間、住民は給水車から各家庭まで水の入った重いタンクなどを持ち運ばなければならなかった。
主婦谷口なと美さん(59)は「ありがたい。トイレなども使えるようになりうれしい」と安堵(あんど)の表情。南部みさをさん(83)は「水が出て一安心。息子の作業場がまだ埋まっているので、これから片付けをしないといけない」と力を込めた。
自宅が流され、避難所の湯涌小での生活が続く谷口哲夫町会長は「あとは避難勧告が解除されるよう、復旧に向け頑張りたい」と語った。
未明の雨で二次災害が懸念された四日朝は新たな被害はなかった。裏山が崩れた光明寺=芝原町=の持田真生住職は「裏山は応急的に補修されているが、いつ崩れるか分からない。被害が出なくてほっとした」と話した。
(北國新聞・2008,8,5)
泥まみれで中学生ら清掃ボランティア
一心不乱にスコップを振るう少年たちの運動着がぐっしょりと泥にまみれた。浅野川のはんらんで深刻な浸水被害が広がった金沢市中心部の浅野川周辺地域。被災者の力になりたいと志願した中学生らが三十日も家屋の清掃作業に励んだ。「一日も早く営業を再開したい」。泥だらけの奮闘に後押しされ、失意の中にあった被災者も復興に向け力強く動き始めた。
同市兼六中は二十九日から、各部活単位で生徒有志が復旧支援に乗り出している。東山一丁目で味噌(みそ)店を営む柴原千尋さん(50)方には、前日に引き続き同中サッカー部員約四十人が訪れた。生徒は運動着を泥だらけにしながら、道具蔵や居間にたまった泥をスコップですくい取ったり、家財道具を水洗いする作業などに取り組んだ。
部活仲間の応援を受け、柴原さんの長男瑠偉君は「初日は途方に暮れていたけど、みんなが突然助けに来てくれた時は心強かった。人のつながりの大切さを実感した」と話した。
主計町の「なべ 太郎」でも、兼六中生徒が後片付けを手伝った。五十五年前の水害でも被災している女将(おかみ)の松村多美子さん(73)は「被災当初は『またか』と暗い気持ちになったが、子供たちの姿に勇気付けられた」と一刻も早い営業再開を誓った。
部員宅の清掃作業に当たったバレー部長の吉村彰志君(14)は「困った時に助け合えるのが本当の仲間。日ごろのチームワークが作業に生かせた」と満足げ。生徒の奮闘ぶりに、普照豊校長は「自発的に手伝っている姿に感銘を受けた。彼らを誇りに思う」と話した。
同市中心部では、二十九日に小将町中の野球部と卓球部の約三十人が被災家屋の後片付けに協力。三十一日には鳴和中野球部の約三十人がボランティア活動を行うほか、浅野川中は河川敷のごみ拾いを検討している。
被災地には県外からの「応援部隊」も。柴原さん方には、旧友の白井啓さん(59)が山梨県から駆け付け、前日から復旧作業を手伝っている。白井さんは「電話口で『もうだめだ』と落ち込んでいたので、元気付けなくてはとの一心で駆け付けた」と話し、泥で汚れたふすまを洗う作業などに励んだ。
昌永町や瓢箪町でも、金沢市社会福祉協議会などのボランティアが側溝にたまった泥水を取り除いたり、重機で廃材を処理する作業に追われた。
三十一日も、県立高校七校の生徒約百人が被災地でのボランティア活動を予定している。
(北國新聞・2008,7,31)
住民47人避難続く
前線の影響で石川県内は二十八日未明から朝にかけて、記録的な大雨となった。金沢市では中心部を流れ
る浅野川が氾濫(はんらん)。市内二百八十二戸で床上浸水、二百七十四戸で床下浸水した。市災害対策本部は土砂崩れの恐れがあるとして午後四時十五分、芝原町の十二戸に避難勧告。同日午後九時二十分現在、自主避難を含め四十七人が湯涌小など四カ所に避難している。
避難所の湯涌小には八世帯十九人、浅野町小に三世帯五人、瓢箪町公民館に一世帯三人が避難した。湯涌河内町郷友会館にも、住民ら計二十人が自主避難しているという。
山手の折谷町、魚帰町、小菱池町、大菱池町、菱池小原町では道が岩でふさがれるなどして計十二世帯、二十一人と連絡が取れなくなったが、石川県警が直接安否を確認した。住民らは自宅待機しているという。
金沢市災害対策本部によると、浸水被害は浅野川の梅ノ橋-中島大橋間に多かった。停電によるポンプ停止や水管橋破損などのため二百四十四戸で断水したが、午後八時までに復旧した。
市災害対策本部は同日午前、浅野川流域の二万世帯五万人に避難指示、市北部の大野川でも九百六十世帯二千五百人に避難を勧告するなどした。一時は約八百人が避難したが、いずれも湯涌地区を除き昼までに解除された。
県危機対策課によると、県内では羽咋市や内灘町など二市二町で住宅計九戸が床下浸水した。
JR西日本金沢支社によると、北陸線と七尾線で特急十三本、普通二十三本が運休または区間運休。特急三十六本と普通四十九本が最大百六十七分遅れ、二万五千八百人に影響した。
北陸鉄道は浅野川線の上下計六本を運休し、八本を区間運休。路線バスは十三路線で区間運休、迂回(うかい)運行した。
高速バス金沢-高山線も一往復が運休となった。 (more…)
住宅浸水、道路も冠水
前線の影響で石川県内は二十八日未明から朝にかけて、記録的な大雨となった。金沢市では中心部を流れる浅野川が氾濫(はんらん)し、市は災害対策本部を設置し、流域の二万世帯五万人に避難を指示した。
金沢地方気象台によると、羽咋市で午前三時からの一時間に五五・〇ミリ、金沢市の医王山で午前六時からの一時間に五四・五ミリの雨を観測した。いずれも七月の一時間降水量としては過去二番目。医王山の二十四時間降水量は正午現在、観測を開始した二〇〇三年以降最大の一四〇ミリを観測した。
金沢市災害対策本部などによると同市では小学校や公民館など三十九カ所に避難所が開設され、午前十時までに八百十七人が避難した。避難指示は湯涌地区を除き午前十一時四十五分に解除された。 (more…)


先月二十八日の水害で被害を受けた金沢市湯涌温泉の総湯「白鷺(しらさぎ)の湯」が十三日、営業を再開した。常連客からは「この日を待っとった」「湯涌のお湯はやっぱりいい」との声が聞かれ、約二週間ぶりに活気が戻った。この日は金沢湯涌夢二館も再オープンし、金沢の奥座敷が復興へ新たな一歩を踏み出した。
七月二十八日の集中豪雨から一週間たった四日、簡易水道の損壊で断水が続いていた金沢市板ケ谷町に給水タンクが設置され、各家庭への送水が再開された。「水のありがたみが分かった」。水害に泣かされた住民は、蛇口からあふれる水に笑顔を浮かべた。
一心不乱にスコップを振るう少年たちの運動着がぐっしょりと泥にまみれた。浅野川のはんらんで深刻な浸水被害が広がった金沢市中心部の浅野川周辺地域。被災者の力になりたいと志願した中学生らが三十日も家屋の清掃作業に励んだ。「一日も早く営業を再開したい」。泥だらけの奮闘に後押しされ、失意の中にあった被災者も復興に向け力強く動き始めた。
る浅野川が氾濫(はんらん)。市内二百八十二戸で床上浸水、二百七十四戸で床下浸水した。市災害対策本部は土砂崩れの恐れがあるとして午後四時十五分、芝原町の十二戸に避難勧告。同日午後九時二十分現在、自主避難を含め四十七人が湯涌小など四カ所に避難している。
前線の影響で石川県内は二十八日未明から朝にかけて、記録的な大雨となった。金沢市では中心部を流れる浅野川が氾濫(はんらん)し、市は災害対策本部を設置し、流域の二万世帯五万人に避難を指示した。